TIGRAN HAMASYAN

特別寄稿 若林恵

“ 古代の観察者 ”

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1.

ジェノサイドというと真っ先に、第2次大戦におけるナチスによるユダヤ人大虐殺を思い浮かべるが、ある特定の民族に対する組織だった虐殺は、何もヒトラーの発明というわけではない。

第一次大戦中のトルコ(当時のオスマン帝国)で行われたとされる虐殺は加害者推定によると20万人、被害者側の推定によると最大200万人の死者を出したと言われ、その被害者となったのはアルメニア人だった。オスマン帝国の継承国であるトルコ共和国はいまもって、当時行われた虐殺が国家による組織だったものとはみなしておらず、それをジェノサイドとしても公式には認めていない。しかしながら、この虐殺事件がホロコーストへとヒトラーをインスパイアしたものだったとは言われている。

この虐殺を生き延び、混乱のさなか故国から追放された、もしくは逃亡した、いわゆる「アルメニアン・ディアスポラ」は、欧州全土、さらにはアメリカへと移住した。現在でも欧州、とりわけフランスにおけるアルメニア・ロビーの政治的影響は大きいとされ、フランスでは2006年以降数度わたって「アルメニア人虐殺を否定することを禁止する」法案が数度提出され、その度にフランス・トルコ間における国際問題へと発展している。アメリカでも、この虐殺をジェノサイドとして認定する法案が提出されているが、同じように外交問題へと発展し、トルコの強硬な抗議によって廃案になっている。

アメリカにおける最大のアルメニアン・コミュニティはロサンゼルスにある。そのアルメニアン・コミュニティにおける最大のアイコンといえば、90年代末から2000年代初頭にかけてヘヴィーロックシーンを席巻した4ピースバンド「System of A Down」にほかならない。異教的なメロディと政治性の強い歌詞をもってベビーロックシーンの一角に独自のポジションを築いたバンドは、この「アルメニア人虐殺事件」を世界的に認知させる大きな役割を果たした。ジェノサイドをテーマにした『Screamers』というドキュメンタリー映画でも主演を務め、2015年には、事件の100回忌として、初めて祖国のアルメニアの地でコンサートを行ない、首都イェレヴァンは熱狂的な群衆によって埋め尽くされた。

彼らほど直接的に、かつ大規模にアルメニア人虐殺の問題に言及したミュージシャンは過去にはいなかった。しかし、音楽やエンターテインメントの世界ではシステム・オブ・ア・ダウン以外にも数多くのアルメニア人移民が活躍している。フランスであればシャルル・アズナブール、シルヴィ・バルタン、ミシェル・ルグランなどがその筆頭に上がり、アメリカであればシェールがそうだ。テレビのお騒がせ一家カーダシアンズがアルメニア人の家系であることを知っている人は案外少ないかもしれない。

2.

若くして世界から注目を集めるにいたったジャズピアノの孤峰、ティグラン・ハマシアンはアルメニアで育った生粋のアルメニア人だ。現在、31歳。少年時代はハードロックばかりを聴いて育ったという若者は、もちろんシステム・オブ・ア・ダウンをリスペクトしてやまない。ただし、彼らが放つ政治的なステートメントに対してはクールでもある。

メジャーデビュー直後にインタビューした際、彼は、システム・オブ・ア・ダウンが、その「事件」を世界中に知らしめてくれたことには心から感謝しているけれど、政治的主張が前に出すぎると音楽がいびつなものになると語り、ロサンゼルスのアルメニア・コミュニティが輩出したバンドであればApex Theoryの方が好きだと教えてくれた。また、まだ知名度が低かった頃にアメリカをツアーした際、ほかの町では50人くらいしかお客さんが集まらないのに、ロサンゼルスに行くとアルメニアン・コミュニティから数千人が集まることを、驚きとともに語っていた。それほどまでに同胞の絆は、いまなお強い。

ティグランは、世界中のどこにでもいるような若者と変わらないような音楽体験のなかから自らの音楽を作り上げて行った。退屈なクラシック音楽教育、ハードロック、ビバップ、マイルス・デイヴィス、あるいはスウェーデンあたりのデスメタルバンド。ティグラン・ハマシアンが、その異能っぷりを世界に知らしめたのは、Red Hailというジャズ・プログレバンドだった。変拍子のハードなリフに、民族色の強い女性ボーカルが乗るという奇妙な音楽を奏でるバンドは、一聴して異様で異教的、それが当然アルメニア音楽の伝統からの引用、もしくは換骨奪胎であると思わせるものだったが、本人に言わせると彼なりにスウェーデンのデスメタルバンド、メシュガーのビートを真似たものだったのだという。伝統文化が手を伸ばせば届く場所にあったからと言って、それと正面から向き合うための回路を見いだすことがたやすいわけでもないことは、おそらく日本であろうと、アルメニアであろうと変わらない。すでに西欧化が進んだコーカサスの若者が、自らの「歴史」や「伝統」にたどり着くまでには、それなりの迂回を、やはり必要とする。

ティグラン・ハマシアンが自らのルーツに興味をもつようになったのは、意外なことにジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットの音楽を通してだったという。キース・ジャレットが神秘思想家にして音楽家でもあるG.I.グルジェフの音楽を演奏しているのを聴いたのが始まりだった。グルジェフは、アルメニアのギュムリという町で1860-70年頃に生まれている。ギュムリは、ティグランの生まれ育った町でもある。

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3.

グルジェフの自伝の冒頭には非常に印象的な話が登場する。グルジェフの父は、古くから伝わる口承詩の語り部であり、数年に一度、その父に伴ってグルジェフは近隣諸国から、同じような語り部たちが集まる大会に参加していたのだという。グルジェフによれば、そこで語られる詩は、古代シュメールにまで遡ることができる口承の物語だったという。

アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンを擁するコーカサス地方は、黒海とカスピ海に挟まれ、イラン、イラク、クルド、トルコ、ロシアに接し、俗に民族の交差点とも言われ、その歴史もまた古い。シュメールといえばメソポタミア文明だが、グルジェフの言に従うなら、紀元前3000年は遡る文化の残滓がその地には少なくとも19世紀後半までは残っていたことになる。

そこまで遡らずともアルメニア自体の歴史もまた相当に古いことがわかっている。紀元前1世紀には、大アルメニア王国として繁栄を誇り、4世紀初頭には、キリスト教を世界で初めて国教として定めた国ともなった。エルサレムの旧市街には、ユダヤ、イスラム、キリスト教徒が暮らす街区に並んで、アルメニア人居住区がいまなお存在している。そんなアルメニアの音楽文化のなかには、グレゴリオ聖歌よりもさらに古い原始キリスト教の音楽の名残を聞き取ることができるとされる。

ドイツの名門ジャズ・クラシックレーベルECMから「Officium Novum」という作品が発表されている。これはバッハの音楽を大胆に読み替えた作品「Officium」の続編として作られたものだった。ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレクとイギリスの声楽アンサンブル、ヒリアード・アンサブルによる作品だ。「オフィチウム」の1作目は、世界中で空前のヒットとなり、これをきっかけに「癒し」をテーマにしたクラシック音楽がやたらと流行った。一方の続編はといえば、まったく話題にならなかったが、この続編のテーマこそが、まさにアルメニア音楽を軸に西欧世界以前のヨーロッパ大陸の音楽の源流を探るというものだった。

アルバムは、19世紀に活躍した神父にして作曲家・音楽学者のコミタス・ヴァルダペットによる楽曲を中心に構成され、ロシア、スペイン、北欧にまでまたがる、ヨーロッパの周縁部の音楽に焦点があてられる。空間的な広がりばかりでなく、時間的な対象もまた広範にわたる。3世紀のビザンチウムの聖歌などが取りあげられる一方で、エストニアのアルヴォ・ペルトなどの現代作家からヤン・ガルバレクの手になる作品も含まれる。

コミタス・ヴァルダペットは、19-20世紀の少なからぬ作曲家がそうしたように、故郷のローカルな音楽を採取したことで知られる作曲家だ。急速な近代化によって失われていくローカリティを記述しアーカイブ化していく作業は、同時代ではバルトークの仕事が知られているか、コミタスの仕事がことさら貴重であったのは、上述したジェノサイドと、それによってもたらされた民族離散によって、共同体内部に保持されていたはずのローカルな文化が、破壊されるかもしくは分断されてしまうことになったからだ。ヒリアード・アンサンブルは、先のアルバムを制作した際、リサーチのためにアルメニアを訪れ、その地でビザンチウムの聖歌などと出会ったとされる。コミタスを手掛かりとしたアルメニア音楽の探求は、単に一民族に固有の文化の歴史のみならず、遡りうる最も古いヨーロッパ音楽の水脈を訪ねるものとなる。

ECMレーベルを主宰するマンフレート・アイヒャーは、過去にもアルメニア人ヴィオラ奏者のキム・カシュカシアンを迎えてコミタス集を制作するなど、アルメニアの音楽に大きな関心を抱いてきた。そのECMとティグラン・ハマシアンの邂逅は、遅かれ早かれどこかで実現すべきはずのものだった。ティグラン自身による「アルメニア音楽の発見」も、単にパーソナルな自己遡行を意味するだけのものではなかった。ティグランのアルメニア音楽の探求には、「Officium Novum」とも響きあう、文明の古層に眠る「音」への希求がある。

ティグランがECMにおいて初めて披露した作品「Luys I Luso」は、ソロピアノとクワイアとが交互に展開される、なんとも形容の難しい作品だった。アルメニアに伝わる伝統的な宗教歌と、ひそやかなソロピアノの対比は、まさに過去と現代、大陸の大いなる歴史とパーソナルヒストリーとの交錯を巧みに表現したものとなった。本作におけるティグランを、ジャズピア二ストと呼ぶことは困難だ。もちろんワールドミュージックでもなければ、古楽と呼ぶものでもない。音楽の時間のなかを自身のピアノを手がかりに旅をしていくような、そんなアルバムだった。ティグランは、旅人のように、時間を探索し、観察し、そして、また現代へと立ち戻ってくる。

4.

映像作家のヴィンセント・ムーンは、ノマドという言葉に最もふさわしい現代最高のノマドだ。旅した先々でローカルな音楽をカメラに収め、次々とそれを自身のウェブサイトやYouTubeにアップロードしていく。ヴィンセント・ムーンの映像ほど、いまの世界を生々しく、また生き生きと捉えた音楽ドキュメントはない。ブラジルのヒップホップから、スーフィーの秘儀までを収めた膨大な映像アーカイブは、空間の移動がすなわち時間の移動であることを教えてくれる。

その彼がコーカサス地方をテーマに撮影した1時間ほど映像がある。教会音楽、伝統舞踊といったもののほかに、居酒屋で歌い継がれてきたような俗謡なども含まれる。コーカサス地方の音楽文化の豊かさ余すことなく伝える素晴らしいドキュメントだか、その冒頭に、どういう経緯なのか、ティグラン・ハマシアンが登場する。

なんの紹介もないまま、画面のなかにふらりと登場する若きピアニストは、彼の実家なのだろうか、ごくごく普通の一般家庭に見える家の、これまたなんの変哲もないアップライト・ピアノの前に言葉もなく座り、アルメニアの教会でよく歌われるらしいメロディを弾きはじめる。弾き進めるなかで、歌いもする。この映像のなかのティグラン・ハマシアンは、何者でもない。世界的なジャズミュージシャンでもなければアーティストですらない。ヴィンセント・ムーンは、旅先で偶然出会った青年の家にただ招かれたやってきただけ、というようなカジュアルさをもって、その演奏を収める。ムーンは、このシーンを、コーカサスを舞台にした1時間ほどの音楽の旅の冒頭に置いている。

ティグランによるこのイントロダクションは、まるで呪文のように観るものに催眠にかける効果がある。それは古い物語が語られるときに、冒頭でかならず口にされる常套句のように、時間旅行を可能にする鍵の役割を果たす。

思えばティグランはメジャーデビューして以来ずっと、そういうやり方で聴き手に魔法をかけてきたのだった。グルジェフが語っていた、シュメールへと連なる古代の語り部の技法が、なんらかの縁からティグランの血のなかにも流れ込んでいるのではないかなどと想像したくなる。「古代の観察者」。そう彼が自身の作品を名付けたとき、彼はただあてずっぽうに幻想の古代を妄想したわけではない。グルジェフが記した、声によって自在に時間を操り聴き手をめくるめく旅へと連れ出す神秘の技芸は、ギュムリ生まれの青年に宿された。ジャズというかりそめの様式をかりて、それは、21世紀へと密かに継承されたのだ。

──────── 若林恵

若林恵|ワカバヤシ・ケイ

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後,雑誌,書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』(岩波書店・2018年4月刊行)。

Special Comments

  • “ティグランは、才能に満ち溢れたピアニストであり、作曲家だ。音楽に対する彼の素晴らしい着想は他に類を見ない鋭気を示していて、それは世界の文化に対する彼のユニークな贈り物である証なんだ。”

    ──── ハービー・ハンコック

  • “僕らはよく似ているのだと思う。 初めて出会った時から家族のように時間を過ごし、僕は彼の音楽が大好きで、彼もまた僕の脚本が大好きで、僕らにそれ以上のものは必要ないのです。僕らはただ一緒にセッションを愉しむ、似た者同士として”

    ──── オダギリジョー

  • “うねりながら万華鏡のように姿を変え続けるピアノ、刺激と安堵の両方に溢れています。何と呼んでいいか分かりませんが、私の心身に響きます。”

    ──── ピーター・バラカン

  • “本物の中でもほんものの音楽家である彼から気付かされ、導かれることは限りなく多いのです。もちろん聴き手として、そして書き手としても弾き手としても、です。テクニックの前に表現が在るのだということを具現しているひととして、民族意識や母語から伝統と未来との関係を厳しく見つめているひととして、僕から見れば自分を含む日本の音楽家たちに欠落している意思や意識を突き付けてくる師として。 それなのに飄々と、実に軽やかに歩き続けている彼にはスナフキンのイメージがどうしても重なります”

    ──── 井上鑑

  • “屋久島の森で初めて出会ったティグランの音楽。 アルメニアの子守唄の中にMyahk、宮古島のアーグ(唄)がありました。アルメニアと自分を繋ぐ、Song Lines”

    ──── 與那城美和

  • “ある意味最もロマンチックで、ある意味最も厳格な音楽家で、ある意味最も土着文化を掘り下げる人で、ある意味最もエンタテインメント性があるパフォーマーで、そして何よりも、世界一美しいメロディーを書けるアーティストのひとりだと思います。”

    ──── 岸田繁(くるり)

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